おはよいございます❣️
今朝は、1時間遅れて、目覚めました。
早く寝て居るし、充分な睡眠時間は取れて居るのに、更に寝たい、眠りたい、、、どういう事なんでしょうか⁉️ 笑笑。
寝る子は育つ、、、もうこれ以上、育たなくて良いんだけど、、、。
朝食の準備が終わって、食べ始めようとした時、NHKで、青木さやかさんの母との確執のお話をやり始めた、、。
興味深く、聴きながら、私の母の事を思い出していた、、、。
私も、母とは仲良く無かった、、、、。
それを察して母は、長崎の老人ホームに入ろうと思うが良いか⁉️と聞いて来た。
何でかその時、こっち(武蔵野)に来ないか⁉️と言ってしまった、、、。
母は、私の意外な反応に、きっと、喜んだと思う、その年のうちに荷物を纏めて、こちらに上京して来た。
吉祥寺南町に家を見つけて、一緒に住む事になったが、上手く行かなかった、、、。
日々、文句の言い合い、無視、無言の日々が続いた。
お互い、自分の母親、自分の娘という遠慮というものがない関係から、20年以上の空白の1人暮らし、、、
母との始まった2人暮らしは、本当に耐え難かった。
長崎にいた20年も、本当に、嫌で嫌でしょうがなかった事を思い出していた。
私が長崎を離れて、やりたい事をしに上京したのは、母から離れたかった為も有る。
唯、一人っ子である為、最終的には親の面倒は見なければならない、、、と言うのは頭のどこかにあったと思う。
20年以上自由にさせて貰ったのだから、母の晩年は、一緒にいるしかない、、、そう言い聞かせて20年以上、母が、亡くなって、4年⁉️は経っているかな、、、。
母の希望通りには行かなかったかもしれないが、回顧展もやったし、画集も作ったし、、、やれる事はやったつもりだ。
母の認知症が酷くなって大腿骨骨折をやってからは病院を転々とし、最終的には東川口の介護施設に入って貰った、、、と言っても、母には、自分が今、何処にいるのかは全く分かっていなかったように思う。
唯、時々、正気⁉️に戻っていた様に思うけれど、気づかないふりをしていた、、、。
薄情な娘だが、一人で自宅で見る事は、体力的にも精神的にも、不可能だった。
これが長崎で、私が、施設に入れたとなったら、外野が煩かっただろうけれど、、、あいにく、此処は母を知っている人のいない東京の片隅、、、、。
思い出すのは、良い思い出だけと、、、言いたい所だが、そうも行かない、、。
青木さやかさんが、一度も母に褒めてもらった事がない、、、と言っていたが、分かる気がする、、私も同じだから、、、。
私の場合はいつも出鼻を挫かれると、言う事が多かった、、、。
気持ち良く楽しんでいると、必ず、現実を突きつける様な事を、言ったり、したりするのが母だった。
何なのかよくわからない、、、きっとあのまま、長崎に残っていたら、私は、今頃、この世には居なかったかもしれない。
吉永小百合さんも、母親と上手く行かなかったと言う話を聞いた事がある。
自分の希望を、押し付ける母だったらしく、、、彼女は自分自身がそうならない様に、自分の子供は作らないと決めていたとも聞いた、、。
自分の考えを、自分の子供になら、押し付けても構わない、と言う考えだったらしい、、。
全てに恵まれている様に見えた吉永小百合さんでさえ、そう言う、闇の部分を持っていたと言うのには驚いた、、と、共に凄く共感した。
私が1人でいるのにはきっと、そう言うベースがあるのかもしれない、、、。
今日は、朝から、重い話になってしまったが、いつか、しっかり、私と、母の事を、このブログが良いのか、書いてみたいと思っている。








