おはようございます😃
今日は、お盆最後の日❓ですね〜〜
明日は、地獄の窯の蓋が開くそうで、気をつけましょうね〜〜
此処何年と、母が、出さずにいた、我が家の提灯を、出してみました。
今年早々に、母が亡くなって、今回のお盆は、私にとっては新盆で、母がやっていた事を、思い出しながら、私もやってみました。
この時期になると、広島、長崎の原爆の話や、戦争の話が取り上げられますが、今日は、終戦の日です。
韓国にとっては、おめでたい日の様ですが、、、、。笑。
もう、後、何年かで、戦争に参加した人達も、いなくなってしまうでしょう。
語り継ぐ人達もいなくなってしまうのでしょうね〜〜
そうなると、簡単に、戦争しちゃおうか⁉️なんて、始める馬鹿が出てきたりするのでは無いかと、思います。
今の総理大臣も、戦争を、知らない人ですしね、、、、。
私も経験はありませんが、父や、母に聞かされた話や、長崎生まれで、長崎育ちの私にとっては、多分、他の人達よりは、その怖さと、悲惨さを知っている人間だと思います。
私が生まれたのは、終戦、5年後ですから、原爆の爪痕はしっかり残っていましたし、私より、若い子供が、原爆病で、無くなったりしていましたから、母も、私の健康に関しては、とても神経質でした。
母自体は、偶々、原爆が落とされた時は、長崎市内には居ず、一山超えた、日見といわれる所に、住んでいた母の姉の自宅に、避難していた様ですが、市内に落とされた原爆の爆風で、その家の窓ガラスが吹っ飛んだと言いますから、母も姉も、被曝はしているのでは無いかと思います。
特に、私にとっての叔母は、好奇心旺盛な人で、長崎まで、様子を、見に行ったと聞きました。
なので、原爆手帳を叔母は持っているとばかり、思っていたのですが、叔母が亡くなる時、聞いた話によると、叔母は、人の原爆手帳をもらう時の証人には、何回もなっているのにもかかわらず、自分はもらってなかった様です。
それを持っていれば、医療費は、無料になるのですが、、、、。
叔母は、色々な病気を持っていて、通院にも苦労するくらいだったにもかかわらず、最後まで、原爆手帳には、頼らず、70代で、亡くなりました。
母は、95まで、長生きしましたが、、、、
同じ姉妹でも、見かけも似ていず、性格も正反対、手先の器用さは、どちらも器用でしたが、、、、。
叔母には、子供はいませんでしたが、遠い親戚の男の子を引き取って育てていましたね〜
何故か、母の新盆なのに叔母の事を思い出したので書き込んでみました。
私は、そんな叔母に似ていると良くいわれました。









