今、『死』について、考える、、、と言うのは、今、現役真っ盛りの方達にとっては、遥か先、自分ごとには、思えないでしょう。ファッションデザイナーである私が、考える『死』、では無く、三村はじめ、素の私が、考える『死』は、、、、ブログなどで、語ることでは無いのかもしれませんが、、、、、。あえて、取り上げてみました。
と言うのも、今、私の最後の肉親である、母の『死』が、近づいている。と感じているからでも、あります。
母の一生は如何だったのか❓必ず、そこに行き着くかもしれません。
今、私は、手元で、母を見ることができず、施設に預けて居ます。
病院から移って、約1ヶ月、先日心不全を起こし、緊急入院しました。私としては、覚悟せざるを得ない状況に、追い込まれました。その時、考えた事は、BNI の最後の朝会の司会進行が出来なくなったら、みんなに最後の最後に迷惑が掛かる。どうしたもんか❓でした。笑、なんと言う娘でしょう、、、、、笑。
ただ、三村家の方針❓は、現役者優先❓笑。なのです。死に行くものより、現状の問題の方が優先する。と言う事なのです。そんな訳で、私は父の死に目にも間に合いませんでした。
母の死に目に、間に合うか❓それも考えました。普通なら、泊まり込んで、その場にいるべきだったのかもしれませんが、、、、。無事、元気になれましたからいえるえ事ではありますが、、、、これは、私がそばにいたからと言って、何の役に立てると言うのか、医者に任せて、自分は自分のなすべき事を、優先すべきなのではないか。薄情な娘だと、医者も看護婦も、思ったでしょうが、そんな他人の思惑なんて、何の足しになる。なんて、思い心起きなく、母の『死』に、寄り添うためには、そんな現状をスッキリクリアしておくべきだと判断しました。
この頃、誰が、決めたのか、1人暮らしをしている、人が、亡くなった場合、全ての人を、『孤独死』と、一括りに表現している事に、違和感を感じて居ます。私だけでしょうか❓
多分私も、病院で死んだとしても、それは、孤独死となるのでしょうね〜、、、肉親がいませんので、、、笑。
私が思うに、誰でも、何人看取る人がいようとも、死ぬ時は1人です。
誰かが、可哀想にと、一緒に死んでくれたりしますか❓あなた死ぬ人、私生き残る人、と、既に別れていて、一緒ではないのです。心中したって、時間差はあります。笑。
1人で生まれて、1人で死んでいくのです。その覚悟無くして、この世で生きて行く事はできないのですよ。
偶々、その時が1人であったとしても、それまでの人生は、最高❣️だった人も、本人が、大満足だった人もいるのです❗️よく知りもしない赤の他人が、その場だけをみて、『孤独死』と、判断するなんて、生き残った人間の傲慢としか思えません。その人にも笑い合った日々はあるのです。そんな人間の人生を全否定する様な、『孤独死』と言う言葉、死に行く人にとっては、不愉快でしょう❣️
思いやりの、一欠片も無い、理不尽な言葉、ナンバーワン‼️だと、思います。
母は、花の盛りの20代を、東京大空襲で奪われ、疎開した長崎で、原爆に会い、散々な青春だったといつもいっていました。やりたい事も出来ない日々だった様です。私には、想像しかできませんが、、、、。私にはやりたい事を、とことんやらせてくれた母でもありました。
母の一生を、そんな風にしかみて居なかった、私ですが、母の部屋の整理をしながら、母が、言って居た通り、父のラブレター、見つけました。それも何通も、嬉しくなってしまいました❣️
母の人生、捨てたもんじゃなかったようです❣️ 笑。









